Episode93 不安はコントロールしようとするのではなくほっとく
目次
00:00 自己紹介とPodcastの説明
03:39 すけさんのキャンプ
11:33 お便り①「ヨガ」
17:03 お便り②「他人を許せないを解明する脳科学」
23:42 お便り③「Ep.90の感想」
35:45 お便り④「東大なんか入らなきゃ良かったの著者の方より」
37:50 今回のメインテーマ「森田療法」
69:22 荘子来てます
扁炉(ピェンロー、ピョンローとも)は、中国で鍋料理の意味。広東省あたりでは「鍋料理」を打辺炉という。「辺炉」(bianlu)と「扁炉」(pianlu)は発音が近いため、一部の地域では打辺炉の替わりに扁炉を使うことがある。 sukesan1984.iconのキャンプYoutube
ホットヨーガ、ホットヨガとは、室温35〜39度前後、湿度60%前後に保たれた室内でアーサナを中心としたエクササイズを行うヨーガである。実施する室内環境は、ヨーガ発祥の地インドの気候を模したとも言われる1。パワーヨーガ(英語版)、ビクラムヨーガ(40度以上で行う)、フォレストヨーガ(英語版)などの形態がある。アメリカ合衆国西海岸で1970年代に始まり、日本では2009年ごろから広まった1。 https://gyazo.com/9d3904a2618a2a4c54f7d456974d6c97
https://gyazo.com/3e7f7bf1b23fa548a308be6be89c692d https://amzn.to/2IGNdCu
幸福が義務であるとは?
高邁と礼節
円柱の中に高邁があって、外側に礼節がある
礼節というのは習慣によって身につけられるような類のものなんだけど、強要される儀式とか制度ではない
一方で「幸福であることは」気が向いたら選べばいいというようなものではなくて、少なくともアランにとっては「人間であること」と同義であった
結局の所、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて医師と統御によるものなのである
負けることはありうる。乗り越えることのできない出来事や、ストア派の見習いなどの手に負えない不幸がきっとある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ、負けたと言うな。これはおそらく最も明白な義務である。幸福になろうとほっしなければ絶対幸福にはなれない。これは、何にも増して明白なことだと、私は思う。したがって、自分の幸福を欲し、自分の幸福を作り出さねばならない
sukesan1984.iconの解釈
礼節というのは習慣のようなものであって、自分でこうすると決めたもので、それが幸福につながるものであるとする
礼節は必ずしも儀式とか制度といった強制されるものではない
しかし、カント道徳論と同じように、「しなければならないからできる」という立場に立つ義務道徳の立場で、気まぐれな感情に左右されない法則として適用していく厳密さを一定持っている
そのように、強制されるものではないが、自己を律して、幸福であろうと習慣づけていくべきであるという意味で義務と言っているのではないか?
https://gyazo.com/344ae84f983f21f8669e9963014cacd0
目の前の作業に集中する
不安をコントロールしようとするのではなく、ほっとけという
目の前の違うことに目線を向けよ
べき思考そのものが悪いわけではなくて、べき思考に囚われたり縛られたりしてしまうのが良くない
べき思考から囚われないようにするには
囚われ
悪循環
他人の目からとらわれてる
私達の根っこにはおのずからなるものがある
究極的にみれば何でもオッケー
幸せ
天がなすことに合わせる
室町時代に試合わせという字になって人メインになった